オフィシャルレポート関西編

昨年は結婚40周年を迎え、二人して記念の海外旅行に行った。41周年の今年は、節目というほどでもなく、かといって、なにもしないのもつまらないので、日帰りのプチ旅行を妻に提案してみた。旅好きの妻はもちろん二つ返事でOK。行き先は二人ではまだ行ったことのなかった神戸周辺を選んだ。 とはいうものの、これといった大きな目的はなく、まずは宝塚を目指す事にした。

新幹線で新大阪へ、そこから宝塚へ向かった。 宝塚には我々世代にも大きな影響を与えた手塚治虫さんの記念館がある。まずはそこへ足を運んでみた。
手塚さんは5歳の頃から20年間を宝塚の町で過ごしたそうだ。つまり、成長期のほとんどを宝塚に住み、ここで育ったということになる。作品に溢れる「自然への愛」「生命の尊さ」などはこの町が育んだという事になるのだろう。
記念館はリボンの騎士を彷彿させるヨーロッパの古城をイメージし、館内は貴重な子供の頃の作品や原画、子供でも大人でも楽しめるアニメーションに関する展示などが中心となっている。自分たちには懐かしいものが多く見られ、郷愁の念が頭をよぎる。なんとなく見ていた漫画であるが、その奥深さに改めて手塚さんの偉大さが伝わってきた。
とはいうものの、漫画やアニメにあまり興味のなかった妻は、早く宝塚劇場に行きたがるので、早々に記念館を後にする。

手塚治虫記念館からは徒歩で宝塚歌劇大劇場へ行くことができる。日本人なら誰もが知る、あの「宝塚」だ。宝塚歌劇があるから宝塚市なのか、宝塚市にあるから宝塚歌劇なのか、どちらが先かは地元の人にもハッキリしないほど、宝塚といえば歌劇なのだ。
それもそのはず、宝塚歌劇団は1914年の初公演以来、2014年で100年を迎えた。ここに生まれ育った人でも、そのほとんどが生まれたときから歌劇団の劇場が町にあったわけだ。
かくいう我々も、特別に宝塚ファンというわけではないが、一度は訪ねてみたいと思っていた。
宝塚の歴史についてはまったく知らなかったが、宝塚新温泉と呼ばれる遊園地が設立され、その旅客誘致企画として「宝塚唱歌隊」が公演を披露してスタートしたのが始まりだそうだ。宝塚の街に温泉があったことも知らなかったが、なんとなく、純粋に歌劇だけで始まったものと勝手に想像していたがそうではなかったということだ。
しかし、その後の歌劇団の活躍は目覚ましく、1927年(昭和2年)には日本最初のレビューが上演され、ラインダンスが初登場し、1938年(昭和13年)には初の海外公演をドイツ、イタリア、ポーランドの3カ国25カ所で行い成功を収めたという。劇場は戦争で一時閉鎖されるものの、戦後1年にして宝塚大劇場は公演を再開している。多くの人が衣食住もままならない時代である。人が生きるために、娯楽はなんとも大きなパワーの源になったということなのだと思い知った。

100周年を記念して劇場内には「宝塚歌劇の殿堂」がオープンしていた。その名の通り、宝塚歌劇の歴史を伝えるもので、往年のスターからスタッフまで、100年を繋いできた人々のことを知ることができる。また、現役スターに関する展示もあり、中でも人気なのは背負い羽(レプリカ)をまとってのフィナーレ体験だ。「あなた、早く写真を撮って下さいよ」「おいおい、恥ずかしげもなく、よくやるな。だけど結構似合ってるよ」すでに妻の気分はタカラジェンヌ。これほどにこやかな妻の笑顔を見るのは何年振りのことか。写真を撮って、孫に晴れ姿を見せてやろう。

宝塚大劇場は、そこだけで完結するようなテーマパークのようにもなっており、食事の施設も充実している。そこで、ここならではの「公演ランチ」をいただいた。「公演ランチ」はその時々の公演にちなんだメニューが用意される。シェフが公演内容をイメージしながらメニューを考え、それにちなんだネーミングが付けられている商品もある。

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